引退試合開催。選手にとっては最高の誉れにちがいない。

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2023年暮れ、中村俊輔、小野伸二引退試合

昨今はサッカー選手の引退試合というのも珍しくはない時代になりました。先日は中村俊輔選手、小野伸二選手の引退試合が行われ、往年のビックプレイヤーの参加もあり満員のスタジアムで大イベントとなりました。多くのJリーガーは現役時代、自分のプレースタイルやキャリアなどに合わせて複数のクラブを渡ります。そんな中でも一つのクラブの顔となりサポーターや地域の人たちに愛されて現役を全うし引退する。派手ではないが地元のファン、チーム関係者の方たちが集まり引退試合をする選手もいます。規模の大小に関わらず現役の最後に引退試合という花道を作ってもらえる選手は本当に一握り、そしてそれはプロスポーツ選手としてこれ以上ない誇りといえます。

出典:スカパー 中村俊輔引退試合ダイジェスト

日本人初の引退試合は1984年(昭和59年)の釜本邦茂氏

 日本人サッカー選手として初めて引退試合をした人は釜本邦茂氏でしょう。釜本氏の現役最後の公式戦は1984年元日、天皇杯決勝ヤンマーvs日産、0-2で敗れた試合です。当時39歳、1984年の夏はロサンジェルスオリンピックが行われましたが、日本サッカーはアジア予選敗退。本大会には出てません。因みにこのロス五輪、私個人的にですが、強くて美しいアメリカの体操女子メアリー・ルーレットンさんがとても印象的でした。

 メキシコ五輪の銅メダルから16年、日本サッカーの停滞期でもありました。そんな中、その年の8月25日、「ヤンマーvs日本リーグ選抜、友情出演ペレ、オベラーツ」という企画で釜本邦茂引退試合は国立競技場で行われました。この企画から実行までは多くの人の苦労と熱い思いがあったのではと想像します。「そもそもアマチュア選手に引退はない」といったネガティブな意見もあったようです。しかし、蓋を開けてみれば国立競技場は満杯、オベラーツ、ペレ、釜本とパスがつながった時には割れんばかりの大歓声だったといいます。釜本氏も一点を決め、大成功に終わった日本人初の引退試合。試合終了後ペレ氏は釜本氏を肩車し、グラウンドを回りました。電光掲示板には「ありがとう。そしてさようなら」と書かれたそうです。

出典:Woody Football

私たちも選手たちのセカンドキャリアを支援していきます

 引退はプロスポーツ選手に必ず訪れるものです。Jリーガーの引退平均年齢は25~26歳です。体力の限界以前にプロ選手としての道を閉ざされる人が多い事になります。引退後のセカンドキャリアを支援する。そんな活動を我々もやっています。まさに今、Jリーガーは来シーズンに向け決断の時期のようです。進退を考える人、キャリアアップを目指して移籍する人、チームにとどまる人。何の保証も約束もない現役選手は自分の力を磨く事で戦いの場所を見つけていきます。その姿が人の心を打つのかも知れません。その人たちが選手をチームを支えている。それがJリーグのような気がします。気が付けば今年もあとわずか。皆さん、良いお年をお迎えください。

佐々木徹勝

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