第31節 vs琉球 2-2
28節から中三川監督に代わり4戦負けなしの3勝1分け。システム変更と選手の起用がうまくハマっている感じです。試合内容から見てもこの結果はうなずけるのではないでしょうか。
監督解任と聞いてどうしても思い出してしまうのが、1998年FIFAフランス大会アジア二次予選中に出た「加茂監督更迭」という新聞の見出しです。後にも先にもあれ程壮絶でドラマチックなアジア予選はないのではないでしょうか。
日本サッカー予選の「長く憂鬱な日々」
「ドーハの悲劇」を経て、新生日本代表は新たに‘82年ブラジル黄金カルテットの一人であるファルカン氏を監督に迎えます。しかし、ファルカン監督は約9ヶ月で解任、加茂周氏が新たに監督に就任します。余曲折ありながらもワールドカップ本大会初出場を目指して、日本代表は加茂監督でアジア予選を戦う事となりました。一次予選は5勝1分け、31得点1失点という格の違いを見せつけての通過。そして迎えた2次予選初戦はホーム国立競技場でのウズベキスタン戦、カズ選手の4ゴールを含めた6-3の勝利。まずまずの背べり出しでした。因みに私もこの試合は国立競技場で見ていました。2戦目はUAEと0-0、そしてむかえた3戦目は今でも語り継がれる国立競技場での日韓戦でした。後半60分過ぎ、伝説の山口選手のループシュートで先制します。それをうけて中盤の中田選手に替えてディフェンダーの秋田選手(現グルージャ盛岡球団代表)を入れます。守りの数を増やした分中盤の数が合わなくなり、韓国に中盤を支配されてしまいます。怒涛の攻撃をくらい、1-2の逆転負け。加茂監督の逃げ切り采配は非難の的となりました。カザフスタン、ウズベキスタンとのアウェイ2連戦は2分け。本大会出場に暗雲が立ちこみました。
ジョホールバルの歓喜
ウズベキスタン戦の試合後、記者からの質問を受けながらバスに向かう加茂監督に一人の男が近づき顔に唾を吐いて立ち去りました。加茂監督は立ち去る男を一瞬目で追いましたが、何も語らずバスに乗り込んそうです。その4時間後、加茂監督は更迭されます。その後、加茂監督のヘッドコーチを努めていた岡田氏が監督に就任、日本人にとって最も長いアジア予選は「ジョホールバルの歓喜」で締めくくられました。
本大会を目前に控えたフランス合宿を終えたところでこれもまた日本サッカー史に残る大きな決断を岡田監督はします。Jリーグ開幕から、そしてドーハの悲劇から4年、日本サッカーをプレイヤーとして牽引してきたカズ選手を代表メンバーから外します。カズ選手はチームとは帯同せず本大会を前に同じくメンバー外となった北澤選手とフランスを後にして帰国します。日本代表初めてのワールドカップは予選リーグ3戦全敗、世界との差はまだまだ大きいと思わざる負えませんでした。
監督の決断や采配は結果でのみ評価されます。結果を出した監督は大体こう言います。「選手が力を出し切ってくれました。私は何もしてません。」結果を出せなかった監督はこう言います。「選手は力を出し切ってくれました。全て私の責任です。」
人は何故監督になりたいのでしょうか。やっぱり一番かっこいいのは監督かも知れませんね。 グルージャの次節は現在2位鹿児島との大一番です。今期最大の山場と言って良いでしょう。中三川監督、望みをつないで下さい!
佐々木徹勝
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