今期、最悪のホームゲーム観戦のなか、二人の恩師との再会という僥倖に巡り合う

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第25節 vs福島 1-3

 第25節福島戦は今期4度目となるホーム盛岡でのスタジアム観戦でした。終始攻め込みながらも3失点をくらい、結果は1-3の完敗。この試合についてコメントする言葉はありません。敢えて書かせて頂くなら「今期一番の最悪な試合」「情けない」とだけ綴っておきます。

出典:Jリーグ公式チャネル

 

スタジアムで二人の恩師との再会

 そんな憂鬱な盛岡の夏の夜に思いがけない再会がありました。スタジアムの席で偶然隣にいた方が、私が高校時代お世話になったお二人でした。斎藤重信氏と村上文武氏の両先生です。

 私が大船渡高校でプレイをしていた1980年代当時、岩手の高校サッカーと言えば盛岡商業高校か遠野高校の絶対2強でした。盛岡商業は全国大会やインターハイの常連、そのライバル校は遠野高校でした。(Jリーグ開幕当時のヴェルディのGK菊池新吉さん、その弟の利三さんは2017-19のグルージャの監督を務められました。お二人とも遠野高校のOBです)当時、岩手県で圧倒的な強さを誇っていた盛岡商業のサッカーを作った方が斎藤重信先生でした。

 斉藤先生は1970年代後半から80年代にかけて、盛岡商業を県内屈指の強豪校に育て上げ、1991年に教員異動に伴い大船渡高校へ転任。その斎藤先生の指導を仰ぐため、盛岡市在住の一人のサッカー少年がからわざわざ大船渡高校に渡ってきました。鹿島アントラーズ、日本代表のレジェンドである小笠原満男さんです。彼は地元の盛岡を離れ斉藤先生のもと大船渡高校サッカー部で高校時代を過ごします。斎藤先生は言わば小笠原満男さんを育てた人です。私が大船渡高校を卒業した後に、斉藤先生が赴任されたので直接指導して頂いたことはありませんが、1980年代に岩手県高校選抜選考練習(セレクション)に召集され参加した私は、ここで岩手県の総監督だった斉藤先生とお会いしています。残念ながら私は県代表には選抜されませんでしたが、斎藤先生の常にサッカーの将来を見据えているようなお考えに接することができました。

サイドバックの将来を見据えていた、斎藤先生

 小笠原満男さんが大船渡高校へ入学前、私の弟が大船渡高校で斉藤先生から直接指導を頂いております。足も速くボール扱いもうまかった弟でしたが、斉藤先生の指導でサイドバックにコンバートされ悩んでいたと聞いたことがあります。現在はサイドバックというより、ウィングバックと言うのでしょうか?昔のサイドバックは地味なイメージのポジションですが、現代のウィングバックと言えば、ウッチーこと内田氏、長友選手、富安選手等、攻守両方の能力、スピードやキックの正確性等サッカーのトータルスキルが求められるポジションです。80年代後半の頃から高校サッカーの戦術に攻撃時にはFW、MFのみならず、両サイドバックを参加させることを志向されていました。今では世界基準の戦術ですが、サッカーの情報量が極めて少なかった時代に、ひとつ先を見据えていた慧眼をお持ちの方です。

出典:GOAT football tactics

 村上先生は私の大船渡高校時代のサッカー部コーチであり、恩師です。村上先生は大学サッカーの優勝メンバーを経て初赴任が大船渡高校だったと記憶しています。我々高校生と一緒にプレーしながらの練習も多かったと思いますが、当時まだほぼ現役トッププレイヤーだった村上先生に対して思いっ切りぶつかっても岩のように動きませんでした。今でも鮮烈な記憶が頭と体に記憶されています。

 新幹線に乗り一泊二日の応援ツアー。今期最悪なグルージャのホームゲームを観戦しながら、サッカーが繋いでくれた恩師たちとの再会に、僥倖の思いを巡らせた日となりました。

佐々木徹勝

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