2024シーズン、グルージャ未だに白星無し。思いは巡り、北朝鮮サッカーの強さを体感した40年前の記憶が蘇ってきた。

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第3節 vs岐阜 1-3

 シーズンが始まって4試合が終わりました。リーグ戦3試合とカップ戦1試合。一勝一分け二敗、リーグ戦の勝利はまだありません。結果だけ見れば出遅れ感は否めませんが、試合ごとにメンバーを入れ替え更にポジションの入れ替えもありと、チームの試行錯誤状態は手に取るように解ります。ある程度のリスクは想定内、逆にいろいろ試すのであれば今しかないでしょう。

出典:Jリーグ公式チャネル

 昨日はワールドカップアジア予選ホームでの北朝鮮戦がありました。韓国と同様にこの対戦は古くから因縁の対決と言われ、意地と意地のぶつかり合い、必ずと言ってよいほど引き分けか僅差の決着となります。思い出すのは2005年の2月埼玉スタジアムで行われたドイツ大会アジア予選の北朝鮮戦です。運良くチケットが取れた私は2月の寒い埼玉スタジアムでその試合を観ることが出来ました。一緒に行った人達とポットに持参したホットラムを飲み、体を温めた記憶があります。その時も拮抗した試合で日本が完全に崩されるシーンもあり、正直言って負けるのではとも思いました。1-1のままアディショナルタイムに入った時、今でも語り継がれる大黒のゴールで辛くもジーコジャパンは勝利しました。次の日のスポーツ紙の見出しは「神様、仏様、大黒様」が踊っていました。

鄭大世の熱い涙@FIFA 2010 ブラジル大会

 ご存知の方も多いとは思いますが、ワールドカップ本大会でアジア勢最高順位は1966年第8回イングランド大会における北朝鮮のベスト8です。2010年にも本大会に出場したおり初戦のブラジル戦キックオフ直前に鄭大世選手が涙しブラジル選手が肩をたたいたシーンはとても印象的でした。

出典:Ronassi 「鄭大世の熱い涙」ブラジル代表 vs 北朝鮮代表 2010 W杯

北朝鮮サッカーの強さを体感した40年前の記憶

北朝鮮は何故強いのか?1966年イングランド大会※以前から北朝鮮は「勝利」のために、東欧の社会主義国と親善試合を積み重ねていたようです。東欧の社会主義国といえばポーランド、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア等、当時の列強国、現在でもサッカー強豪国です。日本よりもずっと前からヨーロッパサッカーに触れトップレベルの技術や戦術を体感していたようです。

※@FIFA 1966 イングランド大会で北朝鮮はイタリアを破りアジア史上初のベスト8進出を果たした

出典:Baú do Rubio North Korea at World Cup 1966

 私が大船渡第一中学校(通称一中)サッカー部にいたときのコーチが元在日朝鮮代表のウィングでした。名前は朴さん。大船渡で「ミラク苑」という焼肉店をやっていたと記憶しています。北朝鮮代表の試合を観ても選手のキック、トラップという基本技術、体の使い方のうまさを感じる事が来ます。朴さんもボールを正確に足にあてる技術を持ち、その指導もしてもらったように思います。

 サッカーはある意味ボールの奪い合いでもあります。ボールに真っ直ぐ向かうのではなく相手とボールを結ぶ線上に先ずは自分の体を入れなさい。としきりに言われた記憶があります。言い方を変えれば相手の進路を妨害しなさい、ということになりやりすぎればファールとなりますが、そこはうまくやれという事です。

敢えて「大和魂」という言葉を持ち出してみた。

「勝つためなら手段を選ばず」そんなイメージがある北朝鮮と韓国のサッカーですが、朴コーチからうけた印象はとにかく負けることが大嫌いという事です。日本人のその感覚とは異質なくらいのものがあったと思いました。プロ選手として競技するのであれば勝利する事でチーム、選手の価値を上げることは間違いありません。しかし勝つために何をやってもよい訳ではないと言う事も明らかです。その線引きは民族性、国民性によって微妙に違うような気がします。 世界基準ではなく、日本人のプロ根性で結果を出す。今、世界へチャレンジする日本人サッカー選手はたくさんいます。「大和魂」で結果を出し、リスペクトされている選手が増えていることを感じ、「日本はもっと強くなる」そう思っている人は私だけではないのではないでしょうか。

佐々木徹勝

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